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自分を認めてあげた日 ~ある日、ニュージーランドのオークランドで~

2005年8月(南半球のニュージーランドは冬)の夕方、私はオークランドの街を歩いていました。

てくてく、てくてく、歩いていました。

ニュージーランドにワーキングホリデーで渡航してから半年程が経過し、私はそれまでいた南島のクライストチャーチを後にして7月に北島のオークランドに移ってきました。

オークランドは首都ではありませんが、ニュージーランド最大の都市です。

首都のウェリントンが政治都市、オークランドは商業都市と言うと分かりやすいでしょうか。

ちなみにクライストチャーチは南島最大の都市です。

元々はクライストチャーチを離れるつもりはなかったのですが、ワーキングホリデーの1年間という期限の半分を過ぎたころ、せっかくだから他の都市にも行ってみようと思ったのです。

ニュージーランド自体は小さい国ですので、周りのワーキングホリデー仲間は、季節労働を求めて各都市を回ったり、それぞれのルートでゆったりと国内一周旅行に出掛けたりしていて、私も方向転換しよう!と決意したのでした。

オークランドに着いてからすぐに住まいは見つけたものの、肝心の仕事が見つからずに焦りが生じていました。

やはり働いていないとお金はどんどんなくなっていくもので、しかし求職活動にもお金がかかります。

それはズバリ、交通費。

ワーキングホリデーで就きやすい仕事といえば、レストランやホテルやお土産屋さんのスタッフです。

これらはほとんど全てが街の中心部にあります。

オークランドの市内交通はバスになりますが、街の中心部がZone1で、ここはほとんどが商業圏で、住宅ももちろんありますが、とても家賃が高いです。

Zone2は住宅街になりますが、やはり中心部に近いだけあって家賃も割高。

私はZone3でやっと手頃な家賃のフラットを見つけて入居しました。

しかしここまで離れると、中心部にはさすがに徒歩では行けません。

特にオークランドは坂の町で起伏に富んだ地形をしているため、尚のことバスを利用せざるを得ませんでした。

そしてこのバス料金が、無職の身には決して安くはありませんでした。

ですのでそうたびたび街に出掛けるわけにもいかず、出掛ける日は、用事をまとめて、計画的に動きます。

行くたびに、地図を見ながら歩き回って飲食店の広がるエリアなどをいくつか確認し、次に来る時はここのエリアを回ってみようと決めて帰ります。

この日も私は英語の履歴書をA4一枚の紙にまとめ、あらかじめ目星をつけておいたお店を訪ねては求人がないかをスタッフに確認しました。

大抵は一言であしらわれるように断られます、でも申し訳なさそうに履歴書だけでも受け取ってくれると、涙が出るほど嬉しかったです。

大した収穫もなく、面接にもこぎつけられず、私は日が暮れつつあるオークランドの街をトボトボと歩いていました。

オークランドに到着してから色々と探し回ってはいるものの、仕事は見つからないし、お金は大切にしないといけないし、バスが通る家までのルートは分かっているのだから、運賃節約のため今日は歩いて帰ろうと決意しました。

時候は冬でしたが、とても天気の良い日で、夕日が黄金色に輝いてオークランドの街をまぶしく照らしていました。

それが仕事も決まらない私の状況ととても対照的で自分が情けなく感じ、とにかく明るい内に家に帰りつこうと黙々と歩きました。

バスでもある程度の時間がかかる道のりですから、歩くとなると相当な距離でした。

歩き始めてあっという間に1時間が過ぎました。

地図で道を確認していましたが、しまいにはどの辺りを歩いているか分からなくなり、とにかくこの道を歩いてさえいれば着くのだから・・と自分に言い聞かせ歩き続けました。

歩いている内に、私はこれまでの自分の人生をぼんやりと振り返っていました。

親との確執、叶わなかった夢、辛かった恋愛。そして将来への不安・・。

その頃の私はとても自己肯定感が低く、自分のことが好きではありませんでした。

大学生のある時期にふとした友人の一言がきっかけで鬱を発症し、ほぼ2年間かけて乗り越えたものの、そこで得てしまった「自分は無価値である」という、自分でもどうしようもない悲しくて空しい感覚がずっとずっと心の中に残っていました。

何をしても心から楽しめず、孤独で不安でした。

会社を辞めてニュージーランドまでやって来て、お金もずいぶん使ってしまって、バイトの仕事さえ決まらない。

何も成し遂げていない自分、何もない自分。

今日だってお金がないからバカみたいに歩いて、私は一体何をしているんだろう・・。

黙々と考え、歩きました。

そして次第に、まるで歩いている自分を遠くの上の方から眺めているような、俯瞰しているような、不思議な感覚になっていきました。

日本を飛び出してきた小さな女の子が、縁もゆかりもないオークランドという街を、仕事も見つけられず、一人で寂しそうに歩いて帰っているのが見えます。

本当に、バカなことやってるなぁ。

私は疲れて冷え切った気持ちで、客観的に自分を見つめていました。

でも。と私は思いました。

何も結果は出てないけれど、私、頑張っているじゃない。

言葉も不自由な土地で、何回断られても、一生懸命お店を回ってきたじゃない。

今だってこうして、バス代節約のために必死に歩いているじゃない。

私は急に自分が可哀想になりました。

愛おしい、ではなく、心底可哀想だと思ったのです。

こんなに頑張っていることを、他の誰も知らない。

こんな思いをしていることを、他の誰も知らない。

知っているのは自分だけ。

そしてこうして頑張っているのも自分自身。

そうしたら、せめて自分だけは自分のことを認めてあげないと、本当に私は可哀想だ・・。

そう思いました。

とめどなく涙が溢れてきて、私は嗚咽を漏らしながら歩きました。

私は自分を認めてあげなければ。

それはとても小さな、小さな想いでしたが、確固とした意思でした。

私は、一人で、頼る人もない外国の地で、必死に頑張っている。

私だけは知っている。私だけは分かっている。

自分で自分にそう言い聞かせると、歩き疲れた足が力を取り戻した気がしました。

家に着く頃には辺りはすっかり暗くなっていましたが、くたくたの中にも何とも言えない清々しさを感じたのを覚えています。

人間、すぐには自分を変えられません。

それからも、進んでは戻り、進んでは戻りして、少しずつ自分を認め、好きになり、自信が持てるようになっていきました。

今の自分になるのに、何年もかかりました。

でもその出発点は、間違いなく、あの日でした。

私が自分の人生を取り戻した日。

その後オークランドでは仕事が見つからず(厳密に言うと見つかったけれどタイミングが悪く見送り)、クライストチャーチに戻りましたが、あの一カ月、オークランドに滞在して自分を見つめた時間は無駄ではなかったと思います。

そして私にとって、オークランドは夫に出会った土地でもありました。

ありがとう、オークランド。またいつか行ってみたい都市の一つです。

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