私達がカナダにやって来たのは2019年です。
ですので、カナダで迎えた初めてのクリスマスは、2019年のクリスマスになります。
1年前のクリスマスを、私と夫と息子は小児病院のICUで迎え、娘は知人宅で迎えました。
あれから1年が経って、ようやく冷静に当時の事を振り返ることができるようになりました。
記事にするかどうか迷ったのですが、カナダに来たばかりの私達家族にとって大変な試練となった出来事だったため、記録として残したいと思います。
生まれたばかりの小さな身体で繰り返した血液検査
息子は2019年の11月に、予定日より3週間近く早く生まれました。
帝王切開で、何と3日目に退院!という日本では考えられない出産スケジュールでしたが、退院する際に看護師さんから
「まだ赤ちゃんの血液検査の数値が良くないから医師が心配している。」
と聞かされてはいたのです。
簡単に言うと黄疸の数値だったのですが、私達日本人も含めたアジア人にとって、生まれたばかりの赤ちゃんに黄疸が出るのは珍しくありません。
なので、
「欧米と違って新生児の黄疸なんて良くあることだし、その内治まるから。」
と気楽に考えていました。
カナダでは、出産して病院から退院すると、市の保健師さんが産後の指導と母体と赤ちゃんのチェックに自宅訪問をしてくれます。
通常はそれは一回だけなのですが、息子は病院から血液検査の指示が出ていたため、連日、毎回違う保健師さんが採血キットを持参して、息子のかかとからバチン!と血液を採取して、タクシーを呼んで病院に届けていました(血液だけタクシーで検査に出すなんて、凄いですよね)。
検査は1時間後には結果が出る迅速さで、ある日の血液検査の後、病院から連絡が入り、
「有り得ない異常値が出た。」
ということで、新生児黄疸の光線治療を行うため、息子は再び入院となりました。
私は息子に母乳をあげるため、一緒に付き添いで入院です。
息子は光線が目に入らないようアイマスクをされ、オムツだけつけて光線治療の容器に入れられ、生まれたばかりの小さな身体に青い光をずっと当てられていました。
「オムツ替えも授乳も出来る限り容器の中で行うように」
との看護師からの指示で、オムツ替えはもちろん、授乳は搾乳した母乳を哺乳瓶に入れて光線治療の容器の中で息子に飲ませました。
とにかくたくさんおしっこを出させることが大切!という事で、頻回授乳&オムツ替えに私も必死でした。
悲しいことに、出産の時と違って、息子の入院ということで私の食事は一切出ませんでした。
なので夫に大量のパンを差し入れしてもらい、授乳の合間にパンをかじり、容器の中の息子のお世話をし、横になるのは病院の簡易ベッドで、私は産後の身体を休める時間が全くありませんでした。
でも看護師さん達が本当に優しい方ばかりで、私が夜中に眠りこけて授乳の時間に起きられなかった時、看護師さんが私を起こすことなく、黙って容器の中の息子にミルクを与えオムツを替えてくれていました。
若い看護師さんでしたが、とても優しい手つきで息子の小さな身体をお世話してくれ、その愛情に満ちた看護師さんの姿に私は嬉しくて有り難くて涙ぐんでしまいました。
そして入院して2日目に、
「正常値に戻った!」
ということで、突然退院の許可が下り、再び自宅へ。
私は退院後も息子と娘の世話で休むことができないでいる内に、しばらくして悪露が大量出血に変わりました。
起き上がると際限なく出血するため、数日寝込むことになりました。
日本なら帝王切開であれば少なくとも1週間~10日間は病院で静養するのですから、本当に過酷な体験だったなぁ・・と思います。
退院後も引き続き病院の指示により保健師さんが採血キットを持って自宅訪問&血液検査をする日々は続き、息子の足の裏は、もうどこにも採血するスペースがないくらい傷だらけになりました。
やがて保健師さんから
「これ以上足の裏から採血するのは不可能。」
と判断され、病院からは新たに
「検査機関で腕から採血してもらうように。」
との指示が出ました。
息子のかかりつけ医が、全ての数値が正常になるまで確認したいということでしたが、黄疸以外は元気に育っているのだから、もういい加減にして欲しい!と内心ウンザリしていました。
カナダでは大きなショッピングエリアには必ず採血をするラボが入っていて、医師から検査項目の記載されている用紙をもらって持って行けば、血液検査をしてもらえます。
早速息子をラボに連れて行ったのですが、
「新生児の腕から採血なんてとんでもない!何かあった時にこちらでは責任を取れないので病院でしてもらって下さい。それに新生児の採血は少なくとも1週間は間隔を空けないと無理です!」
と断られてしまいました。
仕方なく病院へ向かい、どこに行ったら良いか分からなかったため、救急の窓口へ。
事情を説明すると、この病院で採血するなら数時間待ち、近くにある大きな別のクリニックでなら、比較的早く採血してもらえるとのことで、そのクリニックへ。
「こんな赤ちゃんの腕から採血なんて!」
とそこでも一悶着ありましたが、医師の指示だと主張して、何とか頑張って採血してもらいました。
そして検査結果を見た医師から連絡があり、一度連れて来るように・・とのこと。
かかりつけ医のもとを訪れると、
「大抵の数値は改善したけれど、ある数値がまだ少し高くて、それがどうしても気にかかる。多分大丈夫なんだけど、念のために専門医を紹介するので今後はそちらの指示を仰ぐように。」
とのことで、肝臓の専門医にも通うことになりました。
そうこうしている内に、念願だった日本から母が産後の手伝いに到着し、私も母がいる間はゆっくりと身体を休めることができました。
私の母は病院関係者なのですが、血液検査の結果を見せても、
「この数値でそこまで大騒ぎする必要はないと思うけどねぇ・・。」
ということだったので、私はすっかり安心して息子のお世話をしていました。
事態が急転したのは、母が日本に帰国してからです。
初めて肝臓の専門医から連絡が入り、受診と採血の指示が出たため、私達は2019年12月19日に、Stollery Children’s Hospitalにその医師を訪ねました。
その小児病院はとても大きく、院内も色んな設備があって充実していました。
ここアルバータ州の小児医療は世界でもトップレベルということを友人から聞いていたので、私は夫と
「こんな所に来るなんてすごい経験だよねぇ!」
などと呑気な事を言って、院内の写真を記念に撮ったりしていました。
そして専門医の受診の後は、採血のため別のクリニックへ。
ここでも素敵なクリスマスツリーに興奮して記念写真(笑)。
この時の私達は、その後訪れる運命の急転など、想像もしていませんでした。
翌日、夫の携帯に医師から数十件の不在着信
専門医を受診して血液検査をした翌日の2019年12月20日(金)は、娘の現地校の終業日でした。
毎週金曜日は現地校を終えて家に戻ったら、夕方からエドモントン日本語補習校へ通います。
日本語補習校もその日が終業日でしたので、それが終わったらホリデー入りするため、私もやっと少しゆっくりできるなぁと嬉しく思っていました。
娘を補習校に連れて行く準備をしていると、夫が会社を早退して帰って来ました。
「仕事してる間に病院からめちゃくちゃ不在着信が入ってて、出たら病院に息子を連れて来いって言われたんだよね・・。」
「え~、そうなんだ。じゃあさっさと病院行こう、それでそのまま補習校に行けばいいよね。」
と、病院に向けて皆で車で出発。
運転中に、またもやかかりつけ医から催促の着信が。
やがて電話を切った夫が、
「救急の窓口に行けって。話は通してあるんだって。」
と言いました。
「へ~、救急なんて何時間も待たないといけないのに、すぐ通してくれるのなら、ラッキーだね!」
とどこまでも呑気な私達。
案の定、救急の待合室は人でごった返していましたが、私達が受付で手続きを済ませると、本当にすぐに病院の奥に通され、ドクターが来るまで部屋で待つよう指示されました。
やがて、昨日会ったばかりの肝臓の専門医が若い医師を連れて部屋に入って来ました。
ちなみにこの肝臓の専門医は中年の女医さんなのですが、とても美人でスタイル抜群、いつ見ても綺麗にカールさせた金髪のショートヘアに洗練された完璧なファッションで決めていて、個人的にはニコール・キッドマンに少し似ていると思っています。
息子のかかりつけ医の先生はダンディーな中年男性ですが、いつも素敵な柄シャツを着てお仕事されていて、カナダのお医者さんってお洒落な人が多いのかなと素朴な疑問です。。
話が逸れましたが、専門医の先生は、大きな紙に英語の病名と臓器の絵を書きながら、私達に息子の身体の事を説明し始めました。
昨日の血液検査の結果が非常に悪く、ある病気が疑われるとのことでした。
一生懸命英語で説明して下さるのですが、何しろ専門用語なので訳が分かりません。
「・・?」
先生が真剣に説明しているので何か良くないことが息子の身体に起きているらしいことは理解できるのですが、毎日元気に育っている息子と今現在の状況が、自分の中でどうにも結び付きませんでした。
かろうじて理解できたのは、先生の口から
「Surgery」
という単語が出て来た時でした。
「Surgeryって・・えっ!?手術ってこと!?」
しばらくすると専門医の先生はどこかに行ってしまい、助手と思われる若い医師から何度も息子の日々の状態を確認されました。
そしてその医師もどこかに行ってしまいました。
全く先生方が戻って来る気配がないので、部屋に残された私達家族は
「どうも今日は補習校に行くどころではなくなったな・・。」
と思いながら、夫と娘に夕食のテイクアウトを買いに行ってもらい、私は先生が書き残した英語の病名をスマホで調べてみました。
そして日本語の病名と、外科的な処置なしでは2歳頃までしか生きることができない重篤な病気であるということが分かった時、頭のてっぺんから冷水をかけられたような衝撃を受けました。
術後の経過によっては移植が必要になるケースもある、という記載を見た時、手が震え、心臓の鼓動が速くなり、顔から血の気が引いて行くのが自分でも分かりました。
・・息子が手術しないと生きられない?
・・もしかしたら移植が必要になるかも知れない?
・・こんなに元気に育っている息子が?
まさか!という思いが頭の中でグルグルと渦巻きますが、と同時に、これは息子の身に現実に今起きていることなんだ、というどこか冷静な意識もありました。
夫と娘が戻って来て部屋で何とか夕食を摂り、息子にミルクを飲ませました。
やがて専門医が戻って来て、通訳の手配をしてくれ、通訳を介して、再度丁寧に病気や手術の説明を受けました。
この病気では開腹手術でしか確定診断ができないということ、診断が確定されたら速やかに患部を切り取りバイパス手術を行うこと、手術は早ければ早いほど予後は良いこと、それでも生後7週までに手術をすることが特に重要で息子にはもう時間がないこと、そしてあと数日でドクター達がクリスマス休暇に入ってしまうため、息子は数日以内に手術を受ける必要があり、それが今後の分かれ目になることなどが説明されました。
ここに来てようやく、医師から不在着信が入り続けた重大性が私達にも理解できたのでした。
先生から
「何か質問はありますか?」
と聞かれたとき、
「息子は将来、移植が必要になるのですか・・?」
と質問しました。
声が震え、目から涙が溢れてきました。
先生は一瞬、ハッとした表情をしましたが、私をぎゅっと抱きしめて、
「大丈夫よ、大丈夫・・私を信じなさい・・私は何千人もの赤ちゃんを診て来たのよ・・この子は大丈夫・・私を信じて。」
と言いました。
もはやショックで何も考えられなかったのですが、私はその先生の言葉を、親として絶対に信じ抜こうと決意しました。
やがて、
「病室の受け入れ準備が整ったので、息子さんはこのまま入院して手術に備えます。お母さんは一緒に付き添うように。」
と言われ、その場で息子の入院が決まったのです。
ちょうどその頃、娘の補習校の授業が終わる時間になっていました。
本来であれば補習校に娘を迎えに行っているはずでした。
それがまさか、自分たちが今もまだ病院にいて、これから息子の手術に臨まなければならないなんて・・。
数時間前には思いもしなかった展開でした。
これまでも夫は息子のことで休暇を取ってもう休めない状態なのに、仕事はどうしたらいいんだろう・・そして冬休みに入る娘を、カナダに来てまだ知り合いがほとんどいない中で誰かに預かってもらわなければならない・・。
考えることがいっぱいあるのに、事態が急すぎて頭がついていけませんでした。
やがて病院のスタッフに連れられて私達はそのまま息子の病室に移動しましたが、とにかく広い病院でしたので、長い廊下を歩き、別の建物に移り、エレベーターに乗り・・自分たちがどこにいるのか、全く分かりませんでした。
やがて案内された先は、昨日写真を撮った、飾り付けのある空中通路だったのです。
「ここは、この飾り付けは、小児病棟だったんだ・・!」
私は車輪付きのベッドに乗せられてガラガラと病室に運ばれる息子を見ながら、
「どうしてこんなことになったんだろう・・。何がいけなかったんだろう・・。」
とグルグルと考え続けていました。
長くなるので、次に続きます。