前編、中編からの続きです。
※画像はICUに入って2日目の息子です。これでも管がかなり取れた状態でした。
手術後、息子が深夜に大量吐血
手術から戻った息子のお世話をし、寝る支度は済んでパジャマには着替えていたのですが、次の授乳のタイマーもセットしておらず、いつ眠りに落ちたのか記憶がありません。
とにかく、
「お母さん、起きて下さい。」
と誰かに揺り起こされた時、
「あ、ミルクの時間なのに寝てしまってた!」
と慌てて身体を起こしました。
するとそこには、数人のスタッフが息子のベッドを取り囲み、慌ただしく動いていました。
「私は医師です。息子さんが今、非常に危険な状態です。すぐにICUへ連れて行きますので、お母さんも一緒に来て下さい。そしてご主人をすぐに呼んでください。」
と私を起こした人が言いました。
息子に目をやった時、私は思わず悲鳴を上げてしまいました。
スタッフに取り囲まれているため顔しか見えなかったのですが、息子の耳から血が溢れていたのです。
私はとっさに脳からの出血が耳から出てきたのだと思い、脳の出血であれば、もう助からないかも知れない・・と思いました。
看護師さん達は息子に色々な装置を付けながら、ICUに連絡して受け入れの指示を出していました。
「血圧が30を切っています・・口から出血・・。」
と、息子の状態を伝えています。
私は
「from mouth」
という単語を聞いた時、耳からの出血ではなく、吐血してその血が耳のくぼみに溜まったものが溢れていたのだと理解でき、
「口からの出血なら、もしかしたら助かるかもしれない。」
と一縷の望みを得ることができました。
お医者さんは再び、
「あなたは息子さんと一緒にIUCへ、そして早くご主人に連絡を。」
と呆然としている私に諭すように言いました。
その時、一人の看護師さんが私のところにやって来て、
「お母さん、ごめんなさい・・!私がお腹を押したから・・!」
と泣きながら謝って来ました。
それは数時間前に息子の身体をチェックしに来た看護師さんで、彼女が夜中に再度息子の身体をチェックしに来た時、やはり腹部の腫れがどうしても気にかかり、軽く押してみたところ、息子の口から大量の血が溢れ出したということでした。
その看護師さんのせいだなんてこれっぽっちも思っていないのですが、その時の私は何も考えられず、看護師さんに何も言葉を返すことができないまま、ICUに運ばれて行く息子に付き添って病室を出ました。
そして夫に電話をし、すぐに病院のICUに来るよう伝えました。
深夜2時半くらいだったのですが、一度寝ると起きない夫が、よく電話(しかもバイブモード)に出てくれたと思います。
夫によると、本当に何故かたまたま、着信に気付いたそうです。
ICUには既に大勢のスタッフが待機しており、私達が到着すると次々に息子に機械を取り付けて処置を始めました。
10人以上の人達が息子のために動いてくれていました。
「お母さんは別の部屋で待っていてください。」
と言われ、小さな部屋に案内されました。
後で分かったのですが、医師が家族に大事な話をする時に使われる部屋だったようです。
私はその部屋で息子が助かるようずっと祈っていました。
どれくらい時間が経ったのか、一人の看護師さんが部屋に来て、
「He is stable now.」
と私に告げました。
私は息子の容態を知りたいのに、stableの単語の意味が分からず、焦っていました。
すると
「あなたは日本人だったわね、日本人のスタッフがいるから、彼に話をしてもらうわ。」
と言って、男性の日本人スタッフを連れてきてくれました。
その人が来るまでの間に、私はすかさずstableの意味をスマホで調べると、
「安定した」
という意味であることが分かり、ようやく息子が助かったのだと知ることができました。
やがて日本人のスタッフからも話を聞くことができ、息子が輸血をしたことなどを知りました。
その後、夫と娘が深夜3時半頃に病院に到着し、私がいる部屋に連れられて来て、3人でソファーに横になって朝まで仮眠を取りました。
しかし朝には、次の家族が控えているから部屋を出るように言われ、息子がいるICUの病室に案内されました。
息子は痛々しいほど体中に色んなチューブや機器を取り付けられて眠っていました。
ICUの病室は全てが個室で、部屋に一人ずつ看護師が常駐して患者をモニターしていました。
息子を診ていた看護師さんは、
「輸血したから、真っ白だった顔色が戻ったでしょう?身体も温かくなったし、もう大丈夫ですよ。」
と言ってくれました。
病室の奥はカーテンで区切られてソファーベッドと椅子が置いてあり、家族が寝泊まりできるようになっていました。
普通の病室では泊まって付き添えるのは大人の家族一人のみと決められていましたが、ICUの病室では、やはり容体の急変に備えてでしょうか、両親とも付き添うように言われました。
事情を話して知人に娘を預かってもらうようお願いをし、サンタさんから娘にクリスマスプレゼントとして準備していたものも一緒に渡しました。
ICU入りしたのが12月23日でしたので、クリスマスイブは娘と一緒に過ごすことができなくなったのです。
23日は管だらけの息子でしたが、翌24日にはいくつか管も取れて、看護師さんから
「抱っこしてもいいですよ。」
と許可が出て、夫と順番に息子を抱っこしました。
点滴の影響だと思うのですが、息子の顔はパンパンに膨れて、真ん丸になっていました。
オムツを替えようとしたところ、息子の睾丸もテニスボール大に膨れていました。
慌てて看護師さんに確認したのですが、いずれ治まるので問題ないと言われて安心しました。
その日の夜は世間はクリスマス・イブでしたが、病院の中では通常通りにスタッフの皆さんが患者さんのために働いてくれていました。
息子の部屋の看護師さんも、交代制で常住していました。
そして次々にICUには赤ちゃんや小さい子供が運ばれて来ていて、どの病室も常に満床でした。
「病気って、クリスマスとかお正月とか、何の関係もないんだなぁ・・。」
改めて、どんな時でも、世界には病気で闘っている子供達が大勢いるのだと実感しました。
クリスマスの朝にICUを出て元の病棟へ、そしてサンタさんからのプレゼントが
更に翌25日のクリスマス当日の朝、息子はICUを出ることができ、元いた病棟へ戻りました。
前にいた2人部屋ではなく、今回は4人部屋で2名の看護師さんが常駐する病室でした。
病室に荷物を運んでいると、早速医師がやって来て、息子の手術後の吐血について説明を受けました。
何と身体の半分以上の血液が失われていたとのことで、通常、身体の3分の1の血液が急激に失われると死に至ると言われていて、息子の場合は、少しずつ出血してそれが胃の中に溜まっていって、看護師さんがお腹を押したので、溜まっていた血が口から溢れて来たということでした。
あの看護師さんは、自分がお腹を押したせいだと、涙ながらに謝っていました。
でも、あの看護師さんが息子のお腹を押さなかったら、間違いなく、息子はそのまま出血を続けて朝には冷たくなっていたでしょう。
あの看護師さんが命の恩人であったこと、あのタイミングで発見されたのは奇跡だったと思いました。
今でもあの夜の事を思い出すと背筋が寒くなります。
今日まであの看護師さんにお礼も言えないままでいることが心苦しいですが、いつも思い出すたびに感謝しています。
あの晩息子を見て下さり、本当にありがとうございました。
さて、大量吐血の原因を調べるため、また後日、息子に全身麻酔の上でカメラの付いた管を口から小腸まで通して撮影し検査するということでしたが、可哀想でもそれは従うしかありません。
数日後に実施されましたが出血箇所は特定できず、結局原因は分からずじまいでした。
退院した後の話ですが、息子が湿疹で近所のクリニックにかかったとき、そこのお医者さんから
「手術のストレスによる胃からの出血ではないか。赤ちゃんはそういうことが良くある。」
と言われました。
今年の夏休み、日本に一時帰国した際にお世話になった専門医の先生も、
「おそらく手術のストレスによる胃の出血でしょう。」
と話していました。
それで身体の半分以上の血液が失われるものなのか疑問ではありますが、夕方に終わった手術の後から夜中までずっと出血していたのだとしたら有り得る話だと思いました。
話は戻りますが、25日の朝に元の病棟に戻って病室で医師と話をしている時に、何とサンタさんがプレゼントを持って病室に入って来ました!
そして入院している子供達一人ずつに、それぞれプレゼントを渡してくれました。
私は医師と大事な話をしている最中だったのでサンタさんは申し訳なさそうな顔をしてプレゼントを置いて行きましたが、私は慌ててサンタさんを追いかけて写真を撮らせてもらいました!
この小児病院で配られたクリスマスプレゼントはカナダ全土から届けられた善意の寄付によるもので、クリスマス前に続々と各地からプレゼントが到着し、病院のスタッフが整理しているのを見ました。
一人一人の袋にはきちんと名前のラベルが貼られ、年齢に応じたプレゼントがぎっしりと詰まっていました。
一人一人のベッドに飾ってくれたクリスマスツリーとともに、我が家の大切な記念品となっています。
息子は大量吐血の後は特にトラブルもなく順調に回復し、年末ぎりぎりの12月30日に家に帰って来ることができました。
同じ部屋に入院していた他の3人の赤ちゃんは、病院で年越しを迎えたと思います。
そして今も、あの病院には病気と闘う赤ちゃんが日々運ばれて来て入院していると思います。
折に触れて彼らに祈りを運ぶと共に、一緒に涙を流してくれた隣の赤ちゃんのママ、息子を発見してくれた看護師さん、ICUで息子のために尽力してくれたスタッフの方達、厳しくも優しく指導してくれた看護師さん、そして娘を預かって下さった社長夫妻と知人のことを思うと、人は本当に色んな人たちにお世話になり支えられて生きているのだと感謝の念を新たにします。
息子は数ヶ月後、遺伝子検査で別の病名が判明するのですが、現在までとても元気に育ってくれています。
家族で家で一緒に過ごす当たり前の日常が奇跡であること、そして今年はコロナで、学校や買い物に行くというこれまでの普通の日常の尊さも学びました。
人それぞれに環境は違い試練も違うけれど、この経験を通して得たことはしっかりと子供達に伝え、また自分も忘れないようにして生活していきたいと思います。
最後まで読んで下さりありがとうございました。