そもそも、どうして私が海外に興味を持つようになったかをお話ししておきたいと思います。
それは高校時代に遡りますが、当時私が一番仲良くしていた友達が、いわゆる帰国子女でした。
といっても彼女が海外で暮らしていたのは小学生の数年間。
私と出会った高校生の頃には、帰国して数年経っています。
でも、彼女は事あるごとに「ドイツではこうだったよ。」ということを話してくれ、また彼女には独特のユーモアがあり、彼女の視点から見る海外生活がとても面白くて自由で進歩的な感じがして、日本しか知らなかった私にはとても新鮮で強烈でした。
私たちが通っていた高校は県内有数の進学校だったため、とにかく勉強勉強の日々、先生たちは「良い成績の生徒=良い生徒」とみなし、生活態度や身だしなみにもとても厳しい校風だったため、もともと優等生でもなかった自分は毎日、息の詰まる思いで生活していました。
特に私は成績でしか生徒を見ようとしない先生達のことを心の中で大いにバカにしていて、それが態度にも出てしまい反抗的だったため、よく見せしめに怒られていました(泣)。
大人になってこうして振り返ると、バカだったな自分。。と思いますが、当時はとにかく抑圧された感情と息苦しさ、大人や学校に対する言いようのない怒りを抱えて過ごしていました。
こうして文章に書いてみると、若者が成長過程で必ず通る道というか、青春そのものだなって感じがしますが、ハハ(^^;)
その頃の自分はとにかく日々の不自由さが我慢ならなかった。
ところが彼女はいつも飄々としていて、周りを見る目も結構フェアで寛大というか。
特に「人は人、自分は自分。」という考え、自由な精神が確立されていました。
そして、親の価値観が絶対である(と思って育った)のを、彼女に覆されたのがとても大きかったです。
私の親はとても厳しかったので、私はよく「〇〇すべき」という論調で怒られていました。
そのため、私も「こういう場合はこうすべきだよね。」とか、「あの人のあの考え方はおかしいよね。」とか色々彼女に言っていたのですが、彼女からは「そうかなぁ~別にそんなことないんじゃない。」とか「考えも状況も色々あっていいんじゃない。」という風に返され、同意されたことがほとんどありませんでした。
これには「何で何に対しても良いじゃんっていうの!私の意見に同意してくれないの!」と腹立つことも多々ありましたが、やっぱり海外で育つとあんな風に個性を尊重して自由な考え方になるものなのかなぁ、という思いもあり、彼女の育った環境・考え方が羨ましいと感じました。
ですので、私には「海外=個人を尊重する自由な風土」という印象が植え付けられ、とにかく集団の中で同じように振る舞うことを求められ、少し人と違うことをするとすぐに叩かれる日本の風潮に嫌悪感を抱き、いつか海外で暮らしてみたいなぁと思うようになったのです。
とは言え、英語は大の苦手(今でも。。)でしたし、留学して何かを勉強したい、という熱意が湧いたわけでもなく、ただ海外で「生活」がしてみたい、という漠然とした思いでしたが、将来自分が海外に出て色々な国を渡り歩いている姿を想像すると、わくわくしました。
学校の図書館で海外生活のエッセイや旅行記などを読み漁り、全国の大学で「国際」がつく学部や学科を調べたり、夜にラジオでNHKの英語ニュースを聞いたり、洋楽を聞いて歌詞を覚えたりと、当時自分ができる範囲で「海外」に触れながら心を慰めていた、そんな高校時代でした。
いやしかし、今のご時世、調べたいことはインターネットで瞬時に情報を入手できますし、海外生活についても、沢山の方がブログで紹介されています。
本当に今の若者は恵まれているというか・・あの頃の自分にこれだけの情報量があったら、もっと色々とできただろうにと思うと、時代って残酷だなと感じます。
それにしても・・私に海外への憧れを植え付けたその当人は、「自分はやっぱり日本がいい」派で、海外に挑戦する私を、いつも「海外に行きたいなんてすごいね~~頑張ってね~~。」と言っていました(^^;)
おいおい、君が私をこうしたんだよ!(驚)
人生とは不思議なものです。
でも、これは私の娘にも起こり得ることです。
親に連れられて海外で生活したけれど、「私は日本で学びたい、働きたい。」と言う可能性だってあるのです。
ですので、日本語の読み書きは、これからしっかり教育してあげなければと思います。
(とはいえ漫画でもDVDでもいいから日本の名作アニメなんか見せて、自分で勉強してくれるように仕向けようと思っている今日この頃です。。)