2024年最初の投稿になります。
今年は元旦に能登半島地震が起き、日本中にとって、思ってもみない年明けになりました。
私が今現在住んでいる兵庫県芦屋市も、1995年1月17日に起きた阪神淡路大震災の激震地でした。
阪神淡路大震災の当時、私は高校2年生で、まだ故郷の長崎を出ていませんでした。
大変な災害だと分かっていてもどこか遠くの土地の出来事にしか感じられず、大学時代に家族の関西旅行で神戸や芦屋を訪れた際、あちこちにある空き地が震災で倒壊した家屋が取り壊されてできた更地であることをタクシーの運転手さんから教えられ、初めて震災の爪痕というものを当地で目の当たりにしたのでした。
そしてここ芦屋に昨年引っ越してから、家のすぐ側を走る阪神高速道路が震災で横倒しになったあの高速道路だと知り、改めて、本当にこの地で起きたことなんだ・・とまざまざと実感しました。
娘が通う小学校に転校の手続きで訪れた際、校門を入ってすぐのところにあった慰霊碑。
この小学校で犠牲になった生徒の名前が刻まれているのを見た瞬間、頭をガツンと殴られたような衝撃を受けました。
同じ小学校に通う、娘と同じ年頃の子供が、犠牲になった。
今は綺麗に復興しているこの街で現実に起きたことであり、この地に住む、その将来が突然絶たれてしまった小さな子が沢山いたのだ・・。
自分の身に置き換えると、本当に言葉がありませんでした。
娘の小学校で行われた震災当日の祈念式典には、犠牲になった児童の親友だった方(当時小学3年生)が登壇し、震災時の話をしてくださったそうです。
亡くなったお友達はお母さんと一緒に姉妹で犠牲になり、お父さんとお兄さんが後に残されたとのことでした。
こちらで知り合った友人の中にも阪神淡路大震災を経験した人がいて、家族や友人や同級生が亡くなられたという話も聞きました。
自然に対して人間はあまりにも非力です。
でも、その災害の記憶は、この生を生きている限りは心に留めておきたいと強く思いました。
震災当日は、娘の小学校の慰霊碑にお参りをし、後日、震災復興のシンボルである神戸ルミナリエに初めて行ってきました。
メイン会場であるメリケンパークには阪神淡路大震災で被災した港湾の一部がそのまま保管してあるエリアがあり、それまでメリケンパークは何度か訪れていたのですがその時に初めて気付きました。
この写真を見ても、地震の威力がどれ程のものだったのかが分かります。
私が実際に体験した地震は2011年3月11日に起きた東日本大震災です。
当時東京に住んでいて震度5の揺れを経験しましたが、東北の震源地から離れていてもそれは凄まじい揺れで、高層階にある会社で仕事をしていた自分は一瞬ですが死を覚悟した程でした。
阪神淡路大震災も東日本大震災も能登半島地震も、震源地の衝撃と恐怖はどれ程だったことか。
決して忘れない。
どうしても日々の暮らしに追われ、また時が経つにつれ記憶も薄れていくけれど、せめてその日は思いを新たにして、子供たちにも伝えていきたいと思います。