イギリス生活・イスラエル生活を経て、カナダ移住へ

山あり谷あり海外移住記

■イスラエル生活

さらばイスラエル!!来た、見た、去った、激動の4ヶ月間。

投稿日:2017年12月26日 更新日:

イスラエル生活を始めて、娘の幼稚園をようやく見つけて通わせ始め、自由な時間ができて、やっと始めることができたのがこのブログでした。

しかし、信じられないことに、私は今、日本にいます。
まだその事実が受け入れられない思いですが、結局、イスラエルには、4ヵ月間しか滞在することが出来ませんでした。

ようやく現地の友達もできて、これからという時でしたので、とてもショックでした。

短い4ヵ月という時間でしたが、家に住み、周辺のマーケットやスーパーで買い物をし、現地の幼稚園に子供を通わせ、ママ友もでき、休みの日には少しばかり国内の観光もし、日曜日が平日で一週間のスタートという中東のシステムにも慣れ、何となくですがイスラエル生活のリズムというか習慣というものを体験することが出来たと思っています。

日本に本帰国する際、アエロフロート航空を利用したので、ロシアのモスクワでトランジットしました。

その際、ユダヤ教のイスラエルでは目にすることのなかったクリスマスツリーがあちこちに飾られているのを見た時に、「あぁ、私は本当にイスラエルを離れたんだ」と強く実感して、何とも言えない寂しい気持ちになりました。

そして帰国してすぐ、アメリカのトランプ大統領のエルサレム首都発言。
中東は大混乱に陥り、パレスチナとイスラエルの関係も緊張、悪化しました。

まだイスラエルに残って仕事をしている夫や友人達、娘の幼稚園のお友達やママ友など、連絡を取りましたが、日常生活を送る上では特に支障は出ていないようで安心しましたが、これからは気軽に遊びにも行けなくなる気がして、とても残念で悲しい思いです。

イスラエルとパレスチナは、これからどうなって行くのか・・・。

イスラエルは実際に住んで生活をし、現地の友達もできたので、私にとってはとても身近で親近感を感じる国になりました。

観光で行ったパレスチナ自治区も、パレスチナの人々もとても素晴らしくて、今後もどうかかの地と人々が平穏であって欲しいと願わずにはいられません。

イギリスに住んでいた時よりもずっと期間は短かったのに、イギリスよりもずっと現地に溶け込んで生活した感じがします。不思議です。

それはきっと、人々が温かかったから。

イギリスでも、子供には優しかったのですが、どちらかと言えば赤ちゃんに優しかった。

渡航したときは娘が1歳になりたてでしたので、それはもう、どこに行っても声をかけられ、優しく接してもらい、どれだけ慣れない海外生活の心が慰められたか分かりません。

でも、イスラエルとパレスチナの人達の、子供に対する愛情は、世界でも群を抜いていると私は思います。

先に日本に帰国したママ友も、イスラエル人の子供へのとびきりの愛情が懐かしく、忘れられないと話していました。

イギリスよりも、アジア人の存在自体が珍しかったというのはあるかも知れません(イスラエルでは、日本人はおろか、中国人や韓国人すら、見かけることはありません)。

だけど、道行く人々、商店のおじさん、スーパーのレジのおばさん、幼稚園の先生、観光で行った先々、とにかく娘が接した誰も彼もが、本当に愛情を持って言葉をかけ、接してくれました。世界一厳しいという入国審査のおじさんさえも、娘には顔をくしゃくしゃに崩して、とても優しい笑顔でした。

それは娘も肌で感じていたのでしょう。

娘はイスラエルに着いた時から、イスラエルが大好きになりました。

イスラエルを離れるのを、とても嫌がりました。

幼稚園のお友達とお別れする時、娘が
「ちょっとだから!日本に行くのはちょっとだけだから!すぐ帰って来るからね!」
と友達に向かって叫んだのを、涙なしには見られませんでした。

帰国して、イスラエルやパレスチナのニュースに反射的に反応する私がいました。
イギリスから帰国したときは、そんなことはありませんでした。

きっと私の人生でこれからずっと、イスラエルとパレスチナは、気になる場所であり続けます。

スポーツでも、イスラエルが出ていたら応援するでしょう。

これって素敵なことだなと思いました。

とても短い時間だったけれど、ここまで私と娘の中にその存在が根付き、楽しい思い出をたくさん作ってもらったこと、多様な価値観をもたらしてくれたこと、人生を豊かにしてもらったことに、心から感謝です。

もう少し自分の中で色々と整理できたら、イスラエル生活の4ヵ月を振り返って行きたいと思います。

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