さてさて、今回の記事を書くに当たり、イスラエル時代の写真を探したり、夫に当時の出来事を確認したりして、だいぶん薄れていた記憶が戻って来ました。
それにしても色々ありすぎたので(笑)、じっくり書けば非常に長くなりますので、ここは写真を載せながら駆け足で振り返って行こうと思います。
(➡前編①はこちら:ついに夏休み突入! ~娘の幼稚園の変遷を振り返る①(カナダ編)~)
(➡前編②はこちら:ついに夏休み突入! ~娘の幼稚園の変遷を振り返る②(イギリス編)~)
(➡前編③はこちら:ついに夏休み突入! ~娘の幼稚園の変遷を振り返る③(イスラエル渡航前)~)
■イスラエルでやっと見つけた幼稚園!でも目の玉が飛び出るほど高かった!
イスラエルの幼稚園は、Gan(ガン)と呼ばれるのですが、公立のものと私立のものがあります。
公立のGanは無料です。
ですので、当初私たちは公立のGanに入れよう♪と呑気に考えていました。
ところが、夫の会社の同僚の友人(イスラエル人の保母さん)から、「公立のGanは無料だけど、そこに通わせる親は、低所得者層。結局、そういう人たちと付き合うことになるから、あまりお勧めしない。普通のレベルの親と付き合うには、私立に入れないと。それに公立のGanは保育士1人に対して児童が30~40人くらいだから、とてもじゃないけど目が行き届かない。」と衝撃のアドバイスを受けました。
イギリスもそうでしたが、イスラエルも、イギリス以上に強烈な階級社会です。
階級意識による差別もイギリスよりも露骨です。
日本も昨今、貧富の差が広がって・・とか、格差社会が・・などと社会問題になってきているようですが、海外の格差に比べれば、本当に可愛いもんだと感じます。
公立のGanは無料ですが、私立のGanは、どこも日本円で月額10万円~15万円が相場でした。
月額ですよ、月額!!!
月額10万円だと安いくらいです。
実際、娘がイスラエルで通った1カ所目のGanは月額11万円5千円くらい、2カ所目のGanは月額12万5千円くらいでした。
特に私が住んでいたのは、イスラエル首都のテルアビブの、それも中心部ど真ん中だったので、これが本当にその周辺の一般的な私立幼稚園の費用でした。
もちろん、テルアビブ郊外や地方は、もっと安いと思います。
でもいくら東京の私立の幼稚園でも、こんな高額の幼稚園費用が普通にまかり通る地域って、ないと思います。
で、こんな高い幼稚園に通わせる家庭って、どんな!?
皆どれだけ稼いでるの!?
と思うんですが、本当にごく普通の家庭の、ごく普通に仕事してる人達です。
しかも子供が1人の家庭だけではありません。
2人、3人を同じ幼稚園に通わせている家庭も多く、うちは1人でも精一杯なのに、どこにそんな余裕が・・!?と本当に謎でした。
無料の公立に通わせる家庭がある一方で、月額10数万円の私立幼稚園に通わせる一般家庭がある。
もちろん、インターナショナル幼稚園などは、もっと高額です。
月額30万円というところもありました。
かけるお金に比例して、上には上が存在します。
日本での所得の格差(低所得と言われる年収と、平均的と言われる年収の差)って、せいぜい2~3倍くらいだと思うんです。
そして平均所得の2倍以上だと、高収入クラスに分類されるイメージではないでしょうか。
でも、イギリスやイスラエルでは、10倍、20倍の格差がごく普通に存在する。
あくまで私の想像ですが、日本のように大多数の人が分布する、いわゆる平均値がないのでは・・?と思いました。
もちろん、間を取れば平均値が出るのでしょうが、それが実態を表しているかというと、違うと思います。
本当の格差って、こういうことなんだと思います。
話がだいぶん逸れましたが、日本がいかに恵まれた国かという事を、少しここで力説したかった(笑)。
物価が上がった~!と騒ぎますが、海外の先進国の物価に比べれば、日本の物価は安いです。
それでいて、質やサービスは世界最高レベルなんです。
教育や医療だってそうです。
とにもかくにも、かくして私立のGan探しを開始した私たちですが、まぁどこの国でも子供の幼稚園探しの大変なこと!
ネットで調べたり人伝に聞いたりして、あちこちのGanに連絡してみましたが、空きのあるところが本当に少なくて焦りました。
そして空きがあると聞いて見学に行っても、どこも園庭はほとんどなくて、室内の保育がメイン。
気候が暑いのも理由の一つなのでしょうか。
イスラエルの公園も、遊具やトレーニングマシンの上には必ず日よけが張られていました。
こんな感じです!
さてそんな中、ニューヨークで30年の長きに渡りモンテッソーリ教育を行う幼稚園を経営されていたイスラエルの女性が、イスラエルに戻って開園したGanがあるのを知り、見学に行ってみました。
とても優しい経営者(園長先生)で、費用もそこまで高くなく、モンテッソーリ教育にも感銘を受け、そこに預けることに決めましたが、もうすぐ新学期が始まるのに生徒が戻って来ない!と嘆いていました。
何だろう、嫌な予感。とは思いましたが、その内また児童も集まってくるのだろうとこの時は気楽に考えていました。
とりあえず9月中旬から来て!と言われましたが、その時点で入園が決まっている児童が、娘と、1歳くらいの双子ちゃんだけでした。
膨らんでいく不安を抱えつつ、入園の日を迎えましたが、がらんとした教室に娘と双子ちゃんの3人だけ・・。
さすがに娘が可哀想になってきましたが、この時はまだ預ける先ができた!という喜びの方が勝っていました。
■入園して半月で幼稚園が倒産!!悪夢の幼稚園探し再び。。
さて随分長くなってきたので、ここからは淡々と振り返ります。
まず、やっとこさ入園したモンテッソーリ教育を施す私立のGanは、半月で経営破たん(というか売却)の運びとなりました。
しかも、その半月で娘が通った日数は、わずか5日間ほど。
というのも、9月中旬に入園してすぐにイスラエルの新年が始まり、休暇入り。
新年が明けたと思ったら、ユダヤ教最大の重要な祝日ヨム・キプールがあり、再び休暇入り。
そしてヨム・キプールが終わり、ようやく幼稚園再開!と思ったら、園長先生から「幼稚園を売却することになったから、明後日で終わりです。」と宣告されました。
娘と一緒に入園した双子ちゃんは、初日に通ったきり、姿を見せなくなっていました。
何か噂を聞いていたのかも知れません・・。
それに、前学期が終わるまでちゃんと20数名いた児童達が、新学期明けても戻って来ないなんて、やはり何かしら起きていたのでしょう。。
園長先生の説明では、何でも今まで無認可でやっていたところ、政府から認可でやれと言われ、その条件というのが、とてもその幼稚園のポリシーに合わないもので到底受け入れ難いとのことでした。
そもそもモンテッソーリ教育というのは、3~5歳の3学年合同の縦割り少人数のクラスで行うらしいのですが、政府から、認可を受けるためには受け入れ児童数を倍以上増やせと要求があったそうで、モンテッソーリ教育に長年従事してきた園長先生としては、もはや適切なモンテッソーリ教育が施せないと判断したそうです。
とても悔しい、と言っていました。
既に新聞に広告も出していて、買い取りたいと言ってきている人がいるが、足元を見られているとも。
ただ、幼稚園に一人だけいた保母さんが、「こういうの(理不尽な仕打ちのこと?)、イスラエルでは良くあることなのよ・・これがイスラエルの試練なのよ・・」とギョロリと白目を剥きながらボソリと私に教えてくれました。。
かくして、1カ所目の幼稚園は、2週間で終了となったのです。
余談ですが、娘を預ける先ができた私たちは、もう嬉しくて、娘を迎えに行った帰りに、近くの海岸沿いを歩いてYafo(ヤッフォ)という古くからある地中海の港町まで散歩したほどでした。
海岸沿いから旧市街Yafoを臨む。左はテルアビブのビル群。地中海の向こうで右に突き出ているのがYafoの街
Yafoで食べたヨーグルトのアイス、美味しかったなぁ。イスラエルではこのヨーグルトのアイスがメジャーで、トッピングも沢山できます♪
Yafoの広場
とても趣のある街で、のどかな時間が流れていました
旧市街の路地は迷路のように入り組んでいました
この時は、まさか数日後に幼稚園がなくなるとは夢にも思わなかったw
倒産した幼稚園の外観。一見して、幼稚園には見えません。でもどこの幼稚園も、こんな感じでした
幼稚園入口
最終日に写した幼稚園の内部。涙が出ました
同じく最終日の園庭。短い間でしたがお世話になりました。ありがとう、さようなら!
■すっかりやる気を失っていたものの、私立のマンモス幼稚園に空きが見つかり、無事入園。しかしそこも1カ月で去ることに・・
もう本当に色々あったのですが、とにかく駆け足で振り返ります!
9月中旬に入園した最初の幼稚園は10月頭には退園しました。
そこからは失意の日々を過ごしていたのですが、そうは言っても早急に次の幼稚園を探さなければなりません。
現地のある日本人の方が、幼稚園のリストを送ってくださり、その中に、家から通えそうな幼稚園を見つけました。
早速連絡を取ってみると、ちょうど見学会を開催しているので来てくださいとのこと。
早速見学会に行ってみましたが、そこはマンモス幼稚園で、何と低年齢クラス(年少未満)と高年齢クラス(年少~年長)と、2カ所の拠点を持っていました。
見学会は低年齢クラスの拠点であったのですが、大きなビルのワンフロア丸ごとが幼稚園でした。
残念ながら、写真を探したのですが見つからず・・しかしそこで「現時点では空きはありません」との非情な現実を知らされます。
見学会に来ていた方たちは、来年以降の入園を検討している人達でした。
まさに今探していた私たちにとっては、意味ないじゃん・・という時間。
しかしそこで、とてもフレンドリーで優しいシンガポール人のママさんと知り合いました。
娘より1歳年下の娘さんがいて、何と某国の外交官夫人でした。。
何でも、旦那さまがイスラエルに赴任になる前は、日本に5年間赴任していたとのこと!
日本にいた時は東京赤坂在住で(!)、歌舞伎を観るのが大好きな、そして日本文化にもとても造詣の深い、素敵なマダムでした(≧▽≦)
その時は連絡先を交換しただけで別れたのですが、後日彼女から「先日の幼稚園、娘が無事に入れたわよ!あなたも手続きした?」と連絡が入りました。
「いやだって、今は空きはないって聞きました・・」と答えると、「それはあの低年齢クラスの方ね。高年齢クラスは別のところで、そっちはまだあと1人分枠があるって言ってたわよ、急いで!」と言うではありませんか。
慌てて幼稚園に連絡を取ってみると、確かに後1人分空いているとのこと、速攻で入園手続きをしました!
これは本当に幸運でしたし、彼女には本当に感謝です。
こうして10月下旬に差し掛かっていましたが、ようやく次の幼稚園に入園することができました。
入園前に担任の先生の家庭訪問があり、簡単なオリエンテーションを受けました。
そして1週間かけて時間を増やしながら慣らし保育をして、2週間目からフルタイムでの保育となりました。
イスラエルの幼稚園は結構朝早くから預かってくれるところが多いのですが、その幼稚園は7:30~16:30までで、何と朝食・昼食・おやつが出るのです!
そしてお迎えのときにも、帰りながら食べる用?にスナックを渡してくれます。
朝ごはんが出るのは、親として非常に助かりました。
朝、娘を叩き起こしたら、幼稚園に連れて行くだけでいいのです。
このマンモス幼稚園の高年齢クラスは、ビル丸ごと1つが幼稚園でした。
残念ながら内部の写真を撮っていませんでしたが、面白いことに科目ごとの授業と専用の教室があり、違う学年の子と一緒に授業を受けたりもするようなシステムになっていました。
ですので、ママ友の娘Kちゃんとは学年が違ったものの、一緒に遊ぶ機会もあったようです。
ようやく素敵な幼稚園に通わせることができた!と感激したのも束の間、何と、私たちはイスラエルを去らなければならなくなり、2カ所目のこの幼稚園も、ちょうど1カ月通わせたところで退園となりました。
イスラエルを去らなければならなくなった理由は、別の記事でお話ししようと思いますが、これは本当にショックでしたね。。
しかしショックを受けている暇もないほどに、早急にイスラエルを出国しなければならなくなり、バタバタの退園でした。
最終日、Kちゃんと、幼稚園の入り口で写真を撮りました。
この幼稚園で残っている写真は、このショットのみです。
すっかりイスラエルが気に入っていた娘は、お別れの時、日本語で「すぐまたイスラエルに帰って来るからね!日本に帰るのはちょっとだけだから!すぐ帰って来るから!」とKちゃんに叫んでいました。
ママ友と私は涙、涙でした。
Kちゃんとのお別れの時。短い間だったけれど、遊んでくれて本当にありがとう!
こうして、たった4ヶ月の私と娘のイスラエル生活が幕を閉じました。
しかしその間に通った幼稚園は2カ所。
つくづく波乱万丈。。
でも、今振り返っても本当に稀有な体験でした。
色んなことを経験させてくれたイスラエル、ありがとうございました!
■日本に帰国後~カナダ渡航まで
2017年11月30日に日本に帰国し、年末まで私の実家の長崎で過ごしました。
そこで地元の幼稚園に一時預かりの形で3週間、通わせていただくことができました。
娘は自己紹介の時に、園長先生からの「どこから来ましたか?」の質問に「イスラエルですっ!」と元気に答えたようで(笑)、幼稚園の先生が、「たくさんのママさんが『うちの子供がイスラエルのお友達がやって来たって言ってるんですけど、嘘ですよね?』と質問して来られましたよ、でも『本当ですよ』って説明すると皆さんビックリされてました(#^^#)」と教えてくれました。
3~4歳くらいの時期って、結構色んなことを話してくれるのですが、私も娘の話が果たして嘘か誠か分からないことが良くありました。
でも、結構子供って、作り話に思えてもちゃんと本当のことを伝えていたりするんですよね。
私の地元の幼稚園で楽しいひと時を過ごした娘は、年明けに夫の実家のある東京に戻り、私たちは夫の実家の近くにアパートを借りて住み始めました。
そこで通った幼稚園は、イスラエル入国前にお世話になったインターナショナル幼稚園です。
やがて夫がイスラエルから帰国し、家族3人で初めて日本で生活することになりました(娘を生む直前~イギリスに行く前は夫の実家でお世話になっていたため)。
私も夫も仕事をする中で、どうしても時間的に保育園に預けなければならなくなり、地元の保育園で空きのあるところを探し、2018年6月にインターナショナル幼稚園から地元の公立保育園に転園しました。
そこでは2019年3月末までの10カ月間、カナダ渡航までお世話になりました。
■総括
大変なボリュームになりましたが、イギリス~イスラエル~日本~カナダの幼稚園を振り返って感じたのは、国は違えど、子供を育てる苦労はどこも同じだなぁということです。
幼稚園探しに始まり、入園してからの日々のバタバタ、友達とのいざこざ、ママ友との交流・・どこの国でも、やることは同じ。
親の心配も同じ。
その中で、国によって幼稚園の制度やクオリティにも違いがありましたが、私は日本の幼稚園・保育園の給食は世界一だと思っています。
娘が通った長崎の幼稚園も、東京の保育園も、お昼ごはんとおやつは全て手作り・化学調味料無添加とのことでした。
イスラエルの幼稚園でもご飯は出ましたが、数種類のメニューがローテーションで出ているだけという印象でした。
もちろん出るだけ有り難いのですが、ここまで子供の食育に力を入れている日本は、本当に素晴らしいです。
9月から娘はカナダの小学校に入学しますが、給食かランチ持参か選べるのですが、とても給食のクオリティが低く・・ランチ持参にする予定です。
といっても、大したものは作れませんが。。
つくづく、日本の学校の給食が羨ましい。。
最後に、これからお世話になるカナダの小学校の写真で終わりたいと思います。
これから娘がお世話になります!素敵な思い出が沢山できますように・・